2016.03.08
花と食で彩る日本の暦〜「啓蟄」、「春分」
「雨水」の頃から土はにわかにやわらかく湿って、大気も潤いに満ちてきました。春の陽気に誘われるように眠っていた命は身じろぎし、やがてもぞもぞと蓋を開け、地表はあっという間に賑やかになります。暗い冬の帳(とばり)はもう上がるでしょう。
陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也(暦便覧)
二十四節気のひとつ「啓蟄」は、「蟄中の虫、戸を啓く」です。野兎や熊などのけものたちが冬眠から覚め、寒さに凍えていたり、硬くなっていたり、縮こまっていた生命が、そこから解放され、開かれ、生命を更新する時節なのですね。地上だけではなく川や海など水中でも同じです。
蜥蜴や蛇や蛙が穴から陽だまりに顔を出したり、野が緑の和毛(にこげ)に覆われ小さな花が咲いたり、膨らみを増した木の芽が艶々と凛々しかったりする頃。春の海では若芽が揺れていることでしょう。
熊は冬眠から覚めると、精力に満ちた野草を食べるそうです。野山に生えた蕗(ふき)の花もそのひとつ。蕗は日本原産のキク科の植物。今日も庭仕事で見つけたので花の蕾をひとつ、摘まんでいただきましたが、目が覚めるような鮮烈な苦味。苦い蕗の花には冬に貯まった老廃物を追い出すデトックスの効果もあるそうなので、熊の胃も眠りから覚めるのかもしれませんね。蕗の名前は、大地から緑が吹くように広がるからでしょうか。それとも中が空洞で「吹く」ことができるからでしょうか? 名前をたどって、いろいろ連想していくのは道草や庭仕事の楽しみです。昔はこれでお尻を拭いたのよ、という人もいましたが、一方でそのやわらかなみずみずしい蕗の葉でおにぎりを包んで頬張っていた人もいました。いろいろで微笑ましいです。
「五つの〈しょく〉」から連想するイメージのかたち
三月三日は「ひな祭り」。旧暦ではまだ少し先です。
「ひな」は「彦(ひこ)」や「姫(ひめ)」の「ひ」と同じで、小さいもの、「ひよこ」や「ひよめき」のように、生まれたてでやわらかいもの、「ひい、ふう、みい……」の「ひ」で、始まりのことなどを意味します。ちょっと出たり、萌たりしたもので、かわいいものでもあります。
五感に根ざしたものではありますが、お節供や行事は「五つの〈しょく〉」を思いつくままにあげてみると、それぞれの特色がわかります。頭の整理ができるので、10年くらい前からワークショップなどでみなさんに聞いてきました。
「五つの〈しょく〉」とは、「食」「植」「色」「飾」「触」です。たとえばひな祭りにいただく食べものは? ひな祭りから連想される色は? 植物は? どんな飾りや室礼(しつらい)をするでしょう? そしてその行事に何か思い出=「触」はありますか? というものです。最後の「触」は香りや皮膚感覚や、記憶に触れているものを挙げてもらいます。簡単にいうと何かその行事にまつわる「思い出」がありますかということです。
さまざまな機会にみなさんに聞いていますが、季節感や、旬などある程度共通のイメージがあって、そこに地方色や、風土に根ざした行事の形などが乗ってきて、大変おもしろいのです。でも、あまりやらないで来てしまった方も多いのが実情ですから、こうやって形や型となって受け継がれているものの意味を辿ってみるのです。ぜひみなさんも書き出してみてください。そして、たとえば「ひな祭り」であれば西洋の「イースター」などと比較してみましょう。
ひな祭りの「植」といえばまず挙がるのは「桃」でしょう。続いて「菜の花」。「チューリップ」や「パンジー」などもあがることがあります。
「桃(もも)」は「百」とも通じます。たくさんの実が成る子宝の象徴ですし、桃は色といい形といい、女性的な優しさややわらかさをもっともよく表すものでもあったでしょう。崑崙山(こんろんさん)にはグレートマザーである西王母がお住まいで千年に一度実るという仙果である桃李の里を管理しているとか。「桃源郷」が山の奥にある仙境であるように、延命長寿の果実でもあります。またその呪力から杖や矢にもされています。卯杖や節分に鬼を祓う矢ですね。春のこの花はですから、子宝をもたらし、みのりを約束する先駆けとしてお供えされるのです。花びらをひたした「桃花酒」もいただいたそうです。
古くまだ大陸からの「上巳の節供」が習合する前は、春の訪れを祝い野や磯に出て、祖霊を迎えお供えし、神人ともに遊ぶ慣わしだったと言います。まだ紙はないので、草人形(くさひとがた)を作り、穢れをうつし流す禊(みそぎ)をして神遊びをしたのです。また今年も春を迎えられたそのめでたさを祝うお祭りだったのですね。
お節供がそれぞれの季節のあわいにあるのは、四季が滞りなく流れ、季節が巡ること、そしてあらゆる命が生き生きとして、恵がもたらされるようにという祈りが込められているからだと思います。「ひな祭り」は春の訪れを愛(め)づべきものとして、節目節目に野山に出かけ、祖霊へ感謝をし、造化の力のお裾分けをいただくのでしょう。また、雛流しの行事は、若くして亡くなった魂を迎え、饗応し、再び海彼の果てにある常世に送る行事でもありました。
やがて女の子のお祭りとなっていくわけですが、そこには子孫繁栄や、家督の存続の願いなども込められ、江戸時代には豪華な雛段飾りとなっていきます。貝合わせも夫婦和合を願う遊びですね。
「食」はどうでしょうか? ちらし寿司もよくあがりますが、「蓬(よもぎ)餅」や「菱餅」が有名ですね。蓬はその香ばしさといい、効能といい、春の味覚として欠かせません。草餅によくしますので「餅草」とか、「もぐさ」という呼び名にはお灸に使われることから「燃える草」のことでしょう。学名は「アルテミシア」という大地と月の女神の名前が付いています。荒地を覆うたくましい生命力や、薬としての効能が強いということなのだと思います。「菱餅」は桃色に白、緑が層になった菱形のお餅。その三色になったのは明治頃ではないかといわれています。菱は水生植物で、かつては沼や池に繁茂していました。実に角(つの)があって、忍者が使う「撒菱(まきびし)」の原型だそうです。その菱の実の粉で昔は作りました。尖った角のある実と、おそらくは繁殖力の強さに肖(あやか)ったのではないかと思います。
節供にいただくお菓子、こうしてみてくると手のひらの小さな世界でも、魂振りと魂鎮(たましずめ)は常に一対なのですね。縁起物や行事に欠かせない食べものは色や形や味に「謂(いわ)れ」があります。また、「いただきます」にはお供えとして捧げ持ち与えてくれた力に感謝する気持ちと、植物や動物の命を尊ぶという思いも込められていそうです。
日天の中を行て昼夜等分の時也(暦便覧)
桃の花のほころびる頃、紋白蝶の舞い始める頃を過ぎて、次の二十四節気は「春分」です。百花繚乱の春。関東では桜も咲きます。
花いっぱいのお彼岸。桜をはじめとした花の儚さと生を重ね、墓前や棚や壇の前で手を合わせます。供えた花はその時、黄泉の国との交信のアンテナとなり、その声は私たち今を生きているものの背中を押してくれるかもしれません。
振り仰げば、周りの山々は笑っています。「山笑う」春。日本列島はその自然の多様さ、生命の多様性から「花綵(かさい)列島」と呼ばれます。「花綵」とは「花の首飾り」のことです。染められた紐で結んだ花は、咲いては枯れて、揺れながら明滅しているのでしょう。
3月11日の、5年目を迎える震災人災のこともありますが、世界中で悲惨な戦争は止まりません。せめて花を捧げ、悼み、偲びつつ、横溢(おういつ)する想いを花々に重ねたいと思っています。
また今年も春の訪れを知る。ただそれだけのこととはいえ、人それぞれこの地上で、奇蹟のような、微かで尊い時に触れているのだろうと思います。
「晴明」から始まった二十四節気をめぐるこの連載も、今回でひとまわりとなりました。お読みいただいたみなさま、ありがとうございました。
塚田有一(つかだ ゆういち)
ガーデンプランナー/フラワーアーティスト/グリーンディレクター。 1991年立教大学経営学部卒業後、草月流家元アトリエ/株式会社イデーFLOWERS@IDEEを経て独立。作庭から花活け、オフィスのgreeningなど空間編集を手がける。 旧暦や風土に根ざした植物と人の紐帯をたぐるワークショップなどを展開。 「学校園」「緑蔭幻想詩華集」や「めぐり花」など様々なワークショップを開催している。温室( http://onshitsu.com/)
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