2016.02.08
花と食で彩る日本の暦〜「立春」、「雨水」
冬の作庭現場では、霜でカチンコチンに凍りついた土にシャベルの歯が立たず、難儀してしまいます。洗い出しをしたり、石を積んだり、骨まで堪(こた)える冷たさですが、コツコツと冬の工事は進みます。ほのかに温かいのは、春を待つ木の幹だったり、木末(こぬれ)の冬芽だったり、根巻きの縄だったり、休憩時間の陽だまりくらいでしょうか。新しい場所に植えられて木々は眠ったまま春を待ちます。
「寒の明け」、凍てつく寒さが明ける頃、二十四節気は「立春」を迎えます。
「土膏(どこう)動く」という言葉をご存知でしょうか。寒風や霜でぼそぼそと荒れ、凍った土は、春の立つ気配を受けて、にわかに潤いを持ち始めます。アスファルトやコンクリートだらけの都市では土を踏むことさえ難しいのですが、ふと気がつくと道端の土の色や様子が変わってきたのがわかります。文字どおり土の膏(あぶら)が動くというのは、地面が春めいてきた陽の光を浴びて、のびやかに艶が出てくることを言うのでしょう。
旧暦では七草粥をいただく「若菜の節供(人日の節供)」がこの頃ですね。新暦ですと七草セットのようなものをどこかで購入しなくてはなりませんが、本来はどれも身近な春の草。お粥としていただくことより先に、野の草を摘みに行くこと自体が、春の野や森や山の息吹を浴び、命を更新することでした。逸(いち)早く萌え出ずる春の気で体を満たすのでしょう。早春の野に出て若菜を摘む遊びは北欧などにもあって、一種の占いの意味も持っていました。
わが衣手に雪は降りつつ(光孝天皇)
大切な人に花束を贈って想いを伝えることの淵源(えんげん)がこうした行事に今でも受け継がれていると見ても良さそうです。
七草の一つ「はこべ」に注目してみましょう。
「芹、薺(なずな)、御行(ごぎょう)、はこべら、仏の座、すず菜、すずしろ、これぞ七草」の「はこべら」のことです。蘩蔞(はこべ)は、ほかの七草と同じく立春間もない頃のビタミンC補給源として極めて有益な野草だったそうです。語源は「はびこる」が訛ったとも言われていますが、若草色のやわらかな蘩蔞は、ひよこや雀が好んで食べるので「ひよこ草」とか「雀草」「雛草」とも呼ばれます。
カナリヤの餌に束ねたるはこべかな(正岡子規)
はこべ、実は湯がいておひたしにしても美味しいのだそうです。
春の兆しは、至るところで輝き始めている
春の草が生え始めた地面から幹に沿って視線を上げていくと、芽はまだ小さくても桜やもみじの梢はぼんやり薄赤く靄(もや)って、風に揺れる柳の枝はほのかに青さを滲ませています。
「春(はる)」の語根は「発る」ですから、「張る」や「晴る」でもあり、「初」「叭」、「破」などにもつながり、立春のころは力の漲り始めた色が薄皮を通して漏れ、水をあげ始めた草木の新芽の膨らみがそこここに。どこかに春を探してきょろきょろとしてみると、春の兆しはいたるところで光っています。
節分で魔を祓い、春が立ったと思ったら、こちらの気持ちには一切お構いなく、春はどんどん駆けて行ってしまいます。その速さにたいていの人は置いてきぼりにされてしまいます。梅はもとより、木瓜(ボケ)の花、雪柳、連翹(レンギョウ)、エニシダ、山吹、三又(ミツマタ)、沈丁花(ジンチョウゲ)、菫(スミレ)に大犬ふぐり、カラスノエンドウ、タンポポ、ヤエムグラ……、数えだしたらきりがないほどです。大地は若草色の赤ちゃんのような緑や可憐な花々できらきらと満たされていきます。
陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也(暦便覧)
2月の二つ目の二十四節気「雨水」になると、降る雪は雨になり、積もった雪も流れ出します。土がなつかしい香りを立ちあげ、霞たな引くのもこのころ。懐かしく甘い沈丁花。夜にはそこはかとなく梅の香が漂います。
雪が溶け、小川は音を立てて流れ出し、植物たちが息を吹き返し、地球の肺が活動をはじめます。春霞は佐保姫の衣の裾になぞえられ、夜空には「朧月」がかかります。冬眠から覚める山の動物たちもいるでしょう。「東風吹かば~」の「東風(こち)」や「春一番」もこの頃ですね。「風」はいつもさまざまな音信や物語を運んできてくれます。耳をすまし、目を凝らし、鼻を利かせて、さきがけの春はご馳走です。
はじめに「土膏動く」と「土」のことを書きましたが、季語には「春泥」もあります。道路も舗装されていない時代には、泥は相当に厄介なものだったようです。泥が跳ねたり、足を取られたり、なかなか前に進めません。泥染めという染色法もあるくらいですから、ついたら取りにくいことこの上ありません。春雨の日には傘を横向きにさしたと言います。しかし、ぬかるんだ泥道は、そんな風に厄介なだけに懐かしい感情も宿るのでしょう。ですからきっと今年も巡ってきた春を愛でる気持ちを乗せる季語になったのですね。「暮れ泥(なず)む」という言葉もそんな泥の中を歩む感じがよく出た言葉です。
大地の再生、地球の鼓動を春こそ楽しみたいですね。
植物は大地の言葉であり、歌です。足元に広がり、人にとってまだまだ未知の大地に根を張り、天と繋がっている植物。
鶯や雲雀のように声を張って、時には英語のspringそのままに、発条(バネ)のように飛び跳ね野を分けて、春雨に濡れて、よもぎ野や、ぬかるみや、あぜ道を子供の時のように歩みたいと思います。
塚田有一(つかだ ゆういち)
ガーデンプランナー/フラワーアーティスト/グリーンディレクター。 1991年立教大学経営学部卒業後、草月流家元アトリエ/株式会社イデーFLOWERS@IDEEを経て独立。作庭から花活け、オフィスのgreeningなど空間編集を手がける。 旧暦や風土に根ざした植物と人の紐帯をたぐるワークショップなどを展開。 「学校園」「緑蔭幻想詩華集」や「めぐり花」など様々なワークショップを開催している。温室( http://onshitsu.com/)
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