2015.06.19
花と食で彩る日本の暦〜『入梅』、『夏至』
うるうると盛りあがるみどりの海原を背に、夏蝶がふわりふわりと飛んでいるのを見かける候になりました。
人が普通にくらしている分には、身の回りの空気にさほど抵抗を感じないものですが、蝶が飛翔するということはたとえれば、人が水中を歩くようなものなのだそうです。同じ大気の中で生きていても、感知できる世界はそれぞれ異なっていて、それぞれのトーンで世界を見て、感じています。花々が咲き競い葉は繁り、昆虫や鳥たちの生もまた走っていきます。人はどうでしょうか。
6月、水の月
6月。日本列島は水の月。旧暦ではおおむね5月にあたります。
旧暦5月は「皐月(さつき)」。「さ」は「うまれたばかり」とか「ちいさいもの」を意味します。「ささやか」とか「ささくれ」の「さ」ですね。早苗(さなえ)、早乙女(さおとめ)、五月雨(さみだれ)、早苗饗(さなぶり)などは5月と関係の深い言葉です。ささやかなものは大切に見守り慈しむもの。いたみやすく、こわれやすいもの。そのため、5月は「忌み月」ともいわれ、人々は稲をはじめとして秋には実りをもたらしてくれるものの健やかな成長を願い、物忌みをしてきました。多すぎる雨は災いをもたらします。早乙女となって苗を植えるためには禊(みそぎ)をし、お籠(こも)りが必要でしたし、かつては田植えに先立つ物忌みの行事として、お風呂に入れる香り高い菖蒲(あやめ)かづらをつけ、燕子花(かきつけばな)で紫の花の力を遷し、稲を荒らす鹿の占狩り(うけいがり)が行われたといいます。端午の節供の源流はそういうところにもあります。
「さ」はまた、「兆し」とか「先触れ」を意味し、「咲く」「裂く」などへもつながって、威力が発揮された聖なる「ニードルポイント」でもあります。
「此の月淫雨ふるこれを梅雨と名づく」(日本歳時記)
五月雨(さみだれ)は、「さ」なるものに降りそそぐ水垂れです。「さ乱れ」とも掛けられ、千々に乱れる想いと歌い合わされたりもしています。旧暦5月の五月雨は、梅雨(つゆ)のことでもあります。梅雨は「黴雨(ばいう)」とも書かれますが、「黴(かび)」ではあまりいい感じがしなかったのか、ちょうどこの頃黄熟する「梅」の字を当てたとか。
凍てつく寒さの中で凛と咲いていた梅の花、未だ早い春の夕べ、香りがどこからともなく漂っていました。今では産毛の生えたやさしい黄の実が熟しています。完熟すると甘酸っぱい香りがあたりに漂います。その旬は一瞬。急いで摘んだ梅の実は手早く漬けなくてはなりません。さもないと落ちた傍から腐ってしまうのです。
グリーンディレクターをしている世田谷ものづくり学校(IID)の「学校園」では裏庭にある3本の梅の木から毎年恵みをいただきます。自分で梅の木によじ上ってみんなとつくるので、時を経てふたを開けて一粒取り出す時、さまざまな光景も一緒にご馳走になります。なおかつ本来の梅の薬効があるわけですから、ちょっと手間をかけるということで食べ物というのは賜りものなのだということを実感させてくれます。
水の月、雨の似合う花と言えば「あじさい」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。「あじさい」は漢字で「紫陽花」と書きますが、本来この漢字で意味する花は「ライラック」のことではないかと言われています。
「あじさい」とは「あじ さあい」で「小さな青が集まった」という意味となり、ここにも「さ」が。『額紫陽花』は日本原産です。縁取りにあたる部分は花ではなく萼(がく)で、装飾花と呼ばれます。嘘の花です。囲われた中にたくさんの青い花が集まって咲いています。こちらが真の花。それを小さな青が集められた、という風に見たのでしょう。ひらひらと旗のように振る舞って虫の眼を引く装飾花はほぼ四弁で、それを指して古くはあじさいを「よひら」と呼びました。「よひら」は「宵(よひ)」に掛けられて歌に詠まれました。「あじさい」は曇った梅雨も宵の鈍い光の空の下、花だけが青い燐光のようにぽうっと浮かび上がります。日陰や沢の崖などに咲くので、宵や黄昏時や幽冥に似合う花ですね。
また、いわゆる西洋紫陽花を指す「ハイドランジャー」という呼称は「水の器」と訳されますが、これは小さな花の種が入った莢(さや)のかたちが水瓶に似ているから。随分と細かい所をおもしろがったものです。小さな小さな水瓶をよく名前にしたなあと感心してしまいます。
しっとりした話ばかりしてきましたが、6月といえば「夏至」も忘れてはなりません。
「陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以て也」(暦便覧)
冬至と夏至。1年を二分する大きな節目。冬至に比べると5時間くらい日が長くなりますが、日本列島のほとんどはまだ梅雨のさなかですから、夏至の祭りはそれほど多くないようです。
一方で北ヨーロッパでは「夏至祭」が行われるようです。
夏至の日は、太陽の日照の最長点として太陽と火を結びつける行事(日本の神話でも太陽、火、血は類同的なものとみられています)、その太陽を浴びて植物の生命力が強くなるので森や野原で薬草摘みをする習俗、太陽の力が付与された若々しい草花を身に纏(まと)ったり、つくった飾り(たとえば柏の葉の冠や森で摘んだ花束)を交換することで婚姻を促したりする習慣があります。この時の草花市をのぞくとマーガレットや、カラスノエンドウ、アカツメクサ、矢車菊、ルピナスなどなど。赤、紫、ピンク、白、青、黄色、色とりどりです。柏や白樺の若葉をベースにして、華やかで豊かな香り立つ冠や花束を作るのです。
白夜の北欧では、一番力強い太陽に向かって若葉で編んだ大小のリースをくくりつけられた柱が立てられます。柱と輪飾りは男性女性それぞれのシンボルであり、和合の象徴です。そして民族衣装を身に纏った村の人々はその周りを輪になって歌い踊ります。歌や踊りは「お囃子」ですから、「生やし」のこと。太陽や植物の生命を囃し立て、ますます盛んにし、人もそれによって一体化して、生命力が賦与されたのでしょう。
夏越しの祓え、水無月にこめられる祈り
6月の晦(みそか)には、日本でも「夏越しの祓え」が各地の神社で催行されますね。
「撫でもの」である人形(ひとがた)に穢れを移し、神社に納めます。参拝者は大祓詞を奏上の上、「茅の輪(ちのわ)くぐり」をします。地元の氏神様の神社では青々とした茅(すすき)の葉で輪を作り、参道の中程に立ててあります。輪の両側には一対で竹が結わえられます。北欧では柏や白樺でしたが、日本では茅と竹が使われます。いずれもイネ科なのはお米と同じ仲間だからでしょう。
夏越しの祓えは多くの神社で催行されます。この日、宮司さんをはじめ、神職の皆さんが笙(しょう)や篳篥(ひちりき)などを奏でながら先導をしてくださり、参列者は行列を作って決められた順路で茅の輪を3回くぐります。茅の輪をくぐると、夏の疫病や災厄から免れるといわれています。「水無月の夏越の祓いをする人は、千歳の命のぶというなり」などと唱えながらくぐるところもあるようです。夏の疫病や災厄から免れるといわれています。
この時参道は産道となり、茅の輪は母胎からの出口となります。参列者はこうして生命の更新をしているのです。夏越しの祓えは晦日(みそか)つまり月が隠れる夜(つごもり)に行われ、、7日後の上弦の月の日が「七夕」また7日目の満月が「お盆」にあたります。お盆には櫓を組んで祖霊の魂とともに盆踊りをします。七夕の話はまたの機会に。
夏越しの祓えを「水無月の祓え」とも呼びます。その日にいただくお菓子としては「水無月」がよく知られています。白の外郎(ういろう)地に乗せた小豆は魔除け、白と三角形のかたちはひび割れた氷をあらわしているといわれています。かつては定められた山陰にある氷室(ひむろ)で冬の氷を保存しておきましたから、大変貴重でしたが、氷片を口にし、暑気払いをしたのでしょう。お菓子としての「水無月」、水の豊かな季節、これから訪れる真夏の暑さを見通し、清冽な氷の冷たさを想像しながらいただけば、氷室に眠る氷の塊、氷室のあったであろう山の緑蔭、渡る緑風、一転して冬の凍った湖に透ける落ち葉の層や、水たまりの薄氷(うすごおり)などに想いは馳せていきます。
塚田有一(つかだ ゆういち)
ガーデンプランナー/フラワーアーティスト/グリーンディレクター。 1991年立教大学経営学部卒業後、草月流家元アトリエ/株式会社イデーFLOWERS@IDEEを経て独立。作庭から花活け、オフィスのgreeningなど空間編集を手がける。 旧暦や風土に根ざした植物と人の紐帯をたぐるワークショップなどを展開。 「学校園」「緑蔭幻想詩華集」や「めぐり花」など様々なワークショップを開催している。
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