2017.05.09
幅允孝のよく噛んで読みましょう #7 昭和の店に惹かれる理由
時に味わい深く、時に人生の栄養となるのは、ひと皿の美味しい料理も、1冊の素敵な本も同じなのかもしれません。ブックディレクターの幅允孝さんがそんな「よく噛んで」読みたい、美味しい本たちを紹介してくれるこの連載。今回は老舗料理店の職人のエピソードを通じて、「仕事に向き合う姿勢」を教えてくれる本をご紹介します。
『昭和の店に惹かれる理由』
このタイトルを聞くと、ノスタルジックな本だとあなたは思うかもしれない。けれど、この本に描かれている食のアトモスフィアこそ最先端。そして、巷にあふれるサービスの概念や「OMOTENASHI」の向こう側に何があるのかをはっきりと指し示す革命の書でもある。
と、なんだか鼻息が荒くなってしまっている。実際に、興奮しているのはこれを読んだ僕の方で、当の井川さんは「あら、そうですか〜」といつものようにニコニコしていそうなのだが。
著者の井川直子は1967年生まれのフリーライター。特に食の分野では『dancyu』や『料理通信』などで長く仕事を続けており、レストラン取材だけでなく、料理人や生産者、地域の地場にまで肉薄した記事には定評がある。
彼女の前作『シェフを「つづける」ということ』は、10年前に取材したコックたちの現在を訪ね、紆余曲折の足跡を辿りながらそれらを包み肯定していくという見事なノンフィクションだった。単に料理の文脈としてではなく、人が仕事を「続ける」覚悟があの本には刻まれていた。そう、彼女は食を通じて人間を描く人なのだ。
この最新作で彼女は昭和の時代から続く老舗料理店を訪れ、彼らの矜持についてたっぷりと話を聞いてゆく。目黒のとんかつ屋「とんき」や湯島の酒場「シンスケ」、神保町の鮨屋「鶴八」、日本橋室町のてんぷら屋「はやし」などなど、同じ老舗とはいえ、そこで提供される料理も店の雰囲気も随分ちがう店が並ぶ。知っているお店もあれば、知らない店もあったが、どのルポルタージュも調理場を守る職人たちが繰り返す日々の仕事についてとてもよくわかる。そして、先代や先々代からどのように仕事が継がれてきたのかも。本書でも井川は食を通じて人を描く。でも今回は連綿と続く暖簾の一部であることに誇りを持っている滅私(めっし)の人々の話だ。人ひとりの一生より、もっと大きな流れの中で生きることを実感できている方々とでもいおうか。
ていねいな仕事を教えてくれる「昭和の店」
そもそも井川がこういった「昭和の店」が心地よいと感じるようになった理由は、取材で訪れたシンガポールのワインバーがきっかけだったという。当初は大阪の都市計画を模して造られたあの都市が、お手本以上に整備され、人も経済も活気づき「もう日本なんて目指してない」と彼女には思えた。ところが、中目黒にいるかと錯覚するような洒脱なワインバーで偶然にも彼女はレンジフードの拭き残しを目にしたのだ。「日本人ならこれはないな」と「それはもはや幻想かも」という2つの気持ちの間を揺れる井川。
「拭く」という行為は、それを使う誰かのことを考え、清潔にしようという心持ちとセットだったと彼女はいう。この慮(おもんぱか)りの精神に、井川は別の場所でも出会う。福岡にある老舗のもつ鍋屋で、井川は新鮮なモツを3度も洗う戦前生まれの女将に「なぜそこまでするのですか?」と聞いたとき、「臭みが取れるから」という想像とは裏腹に「人さまの口に入るものだからですよ」と聞き、確信に変わる。戦争に敗れ、資源も土地もない日本が世界と渡り合ってこれたのは、四角いところの四隅を驚くほど綺麗に拭き、高い精度と真面目さで「きちんと」仕事をしてきた先人がいたからだ、と。
ユニークなのは、こういう「きちんと」した老舗が、現代の食の最先端にいる人の心を捉えていることだ。第9章に登場する銀座「カフェ・ド・ランブル」の店主、御歳102歳の関口一郎さんは、日本の若き焙煎家や「ブルーボトル・コーヒー」の創設者ジェームス・フリーマンのリスペクトを集めている。この店に限らず、国内外を飛びまわるシェフやヴァンナチュールのワインバー店主らが休日にはこぞって老舗料理屋で一献(いっこん)かたむけている。
戦争を経験していない若い食の担い手たちは、1周ぐるりと世界を見渡し、もっとも落ち着く場所を見つけた。彼らは誰かにフレーミングされた「日本らしさ」を意識するよりも、自身のレンジフードを懇切ていねいに拭ける職人であり続けるべきだ。そして、ていねいに、わきを締めて、嘘がない仕事が結局いちばんだと誰もが再確認できる1冊なのである。
幅允孝(はば・よしたか)
ブックディレクター。BACH(バッハ)代表。人と本がもうすこし上手く出会えるよう、さまざまな場所で本の提案をしている。
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。商品の情報は予告なく改定、変更させていただく場合がございます。
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